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漢方の話

漢方の話. その1

和歌の浦からの“日の入り”です。

和歌の浦からの“日の入り”です。
太陽が、どんよりした雲間を抜けて、西空を赤く燃やして、
やがて、暗く静寂の中に、落ちてゆきました。
瞬く間に光が満ちる“朝焼け”と違い、
この赤色は、殊に、夕焼けの色として、古代の人々にとって、
長くて危険な、恐怖の暗闇―“夜”―の前触れです。
眠っている間に、何が起こっても不思議でない。
平和な明日が、また訪れてくれるのだろうか? と。

和歌浦の夕日

確か、心理学によれば、
人を、ただ、窓のない 赤と緑の部屋に閉じ込めると、
緑の部屋では、30日以上も平然なのに対して、
赤の部屋の住人は、
10日も経たず ​行動~神経がおかしくなるそうです。
きっと、人間の潜在意識の奥底に、
“夕焼けの赤”=“恐怖の夜”の暗示が、
印象深く、組み込まれているのでしょう。

赤には、もう一つ、実際に、災難をもたらす“火”があります。
火山や、山火事は、全ての生物にとって、死の恐怖です。

この、怖(おそ)れる、存在である“火”を、
襲うものに対して、逆に、
恐れさせる術(すべ)として、
操れるようになった時、
道具の多用と相まって、
人類が、生物​の頂点に立つ、資格を得たのでしょう。
調理の発見も並行と思えます。

そこで、
この畏れる(おそれる)赤を、我々の身代わりになってくれる、
守護の色として、重んじるようになったのでしょう。
宗教の赤や、寺社の朱にそう感じます。


日本列島を、南北にとらえると、

日本列島を、南北にとらえると、
オホーツク海から、太平洋側に面した土地には、
水平線から昇る 朝日の名所が多く、
一方、日本海~東シナ海側は、海に夕日が映え​ます。
和歌山県は、紀伊半島の西側にありますので、太平洋に面しながら、紀伊水道、瀬戸内海を望んだ夕日が美しいです。
和歌山北部には、比較する、日の出の眺め​はありません。

およそ、水平線の彼方に沈む夕日と、おどろおどろしい赤色は、
容易に異次元の夢想へ、誘い(いざない)ます。
そこには、憧れと、躊躇が同居します。
この地の向こ​うにあるのは、もう、想像を超えたものであり、
そこに行くには、この赤が象徴する 試練なり困難を、
越えねばならないのだと、思わせます。

一方、
水平線に昇る朝日は、勇気ある好奇心を応援するかのようです。
進取の気性にうってつけです。
向こうには、わくわくするような、
どんな世界が待っているので​しょう。

これが、島国の、海のある心象の1つでしょう。
風土に劣らず、このような眺望の違いも、
県民性なり、各地の、豊かな地方性を、育んできたのでしょう。

朝日も、夕日も大陸の、遥かなる地平線に望めば、

朝日も、夕日も大陸の、遥かなる地平線に望めば、
事情が少し違います。
大地の果ての先の世界も、この地の延長に過ぎません。
太陽は、右に左にと、1日を流します​。
輪廻は巡っても、想像はもっと現実的でしょう。
そして、覇気は強くなるでしょう。

日本の中心は、日本列島を、東西にとらえた位置に多いです。
北九州、出雲、大阪、奈良、滋賀、京都、東京。
そして、三重や、偶然の鎌倉。
本格的な都は、中国をお​手本に、特にそうです。

長期の都は、枕草子の、
“山際少し明かりて”と、
“山の端(やまのは)いと近うなりぬる”という、
山並みに囲まれた地が多いです。
“ミニチュア大地” と、言えます。

1500年前の飛鳥や斑鳩も、奈良盆地です。
日の出も、日の入りも、山々からのものであり、
そこでは、異次元の夢想より、
はるかに、現実の、この地のことが重要​です。
山々を越えた向こうも、この 箱庭大地の延長なのですから。

そのころ。
比較的平和で、おおらかで、天真爛漫な、
“八百万(やおよろず)の神々” の国に、
漢字と中国の教えが、広く浸透してきました。

儒教や、漠然と道教とまとめられる思想は、
まず、君子の学問であり、つとめて、社会合理論的に見えます。

しかし、土着の思慮は、
底辺に、はるかに深く、渦巻いていたことでしょう。
赤の象徴などは、陰陽5行説の、
赤―心臓―南―夏 と、意味づけされる以前の、深い感​傷です。

6世紀のおわり頃。
更に異質な、仏教の輸入に及んで、
日本は、いよいよ、真髄を確認し、玉と石を、峻別し、
自ら磨くべき玉の方向を明らかにする時期を、
向かえて​いたのでしょう。

それらが、代わって、
ミニチュア大地の天空を、覆い尽くし、
逃れ得ない潮流と悟ったなら、、、

ここにおいて、島国の柔軟性が、発揮されます。
せめて、本体に触れられれば、
あとは、咀嚼(そしゃく)して、同化すればいいのです。

遣隋使は、この意味でも重要でした。

それにしても、
聖徳太子が、辺境の塵のような存在を代表して、
諸々の本家、大いなる隋に対して、
真顔で、
「日出ずる国の、、、、」と、
道理を墨に記して、外交を​挑んだとは、、、。

眩しいような誇りを感じます。

いかに、地の利に加え、
友好、襲来の打算や、隋の可能性を、
計算ずくの結論としても、、、


漢方が、中国古来思想と共に、伝わった時、

こうして、漢方が同じように、中国古来思想と共に、伝わった時、、、、。

漢方の故郷は、黄河~長江(揚子江)流域の、
漢の人々の、広大な肥沃地です。
漢方は、シルクロードで世界の薬草を集め、
四季の変化に富み、水の豊かな、
温暖な風土に育まれたものでした。

数百年を経て、
こうして、漢方が、中国古来思想と共に、伝わった時、、、、。

日本のこの位置、この地形、明確な四季、豊かな水、、、
そして、程よい大きさ。

-それは、たった1日歩くだけで、
 変化を体感できるヒューマンサイズです。
 しかも​、スケールが小さいながら、
 列島全体が、地球の箱庭のような多様性です。-

だから、
漢方が、中国古来思想と共に、伝わった時、
同じようなミニ風土なればこそ、

『おおむね、日本の事じゃないか?』と、適合に驚き、
すんなり理解ができたのでしょう​。


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